『国際貢献のウソ (ちくまプリマー新書)』 (2010 034)

きれい事からはほど遠い「国際貢献」の現実を書いた本。

p. 16
 だから欧米社会はすばらしい、と手放しで賞賛するつもりはありません。
 彼らが発展途上国を援助するのは、途上国を搾取することによって産業革命を推し進め、グローバル経済の屋台骨を作ってきた歴史の裏返しとも言えます。途上国の資源や労働力をあまりに収奪しすぎると、不満を持つ人間が反乱を起こし、経済システム自体が崩壊する。だからそれが爆発しない程度に少しずつ対処する。要するに欧米社会は、途上国の人々を搾取するかわりに、彼らがヤケを起こさないように、セーフティネットを作らなくてはいけないということを経験的に学んできたわけです。したがって、欧米による途上国の援助とは、底辺の人たちが死なない程度のセーフティネットを提供することにほかなりません。その意味で、国際協力とは、いわば世界経済システムを維持するためのスキマ産業なのです。
 逆に言えば、一国の政治体制を根本的に変革することが必要な状況では、国際協力が邪魔になることだってありえます。海外からの援助は、貧しい国の支配者側にとっては都合がいい。少なくとも、国内の不満の爆発を抑制してくれるわけですから。

pp. 19-20
 でも、そういった「人道的介入」の結果、現地社会が破壊され、住民の多くが死傷するという「人道的危機」が生まれ、そこにNGOを含む人道的援助の活躍の場ができる。こういう「マッチポンプ」的な性質が、そもそもこの業界にはあるのです。

pp.39-40
NGOは情報サービス産業である
 NGOを一つの産業として見るならば、その構造はとてもシンプルです。先進国の寄付者からお金をもらって、僕たち自身の取り分をもらい、残りを途上国に落とす。これがこの業界の仕組みです。
 人は黙ってお金を出すわけがありませんから、NGOはお金と交換する価値を寄付者に差し出さなければならない。具体的には、「プロジェクトの成果」という形で被益者の情報を与えるわけです。みなさんのお金のおかげで、途上国の人々の生活がこんなに変わった。そういう情報を得て、寄付者はお金とひきかえに満足感を得る。このように考えれば、NGOとは、情報を売買するサービス産業とさえ言えるかもしれません。つまり「顧客満足度」をプロジェクトの成果として追求するサービス産業です。
 このサービス産業には、まず他人の貧困という商材がなければならない。援助を必要とする人々がいることが、業界が存続する大前提です。だから、貧困はこのサービス産業における一つの「商品」なのです。そして、その「商品」の所有者は被援助者なのです。NGOではありません。NGOは、その所有者に代わって、その「商品」の商品価値を発掘し、そして効果的に広報することによってドナーに売り、そこで募金された資金を現場に投資する。その投資が生み出す変化をこれまたドナーに効果的に広報し、更なる継続的な売買関係を維持する。NGOはこういう中間業者でしかないのです。

pp. 47-48
 だからといって日本が遅れているとは言いたくありません。そもそも根っこの部分で、日本に「寄付文化」というものがない。日本のNGO業界は、過去四半世紀以上の間、これの定着に試行錯誤してきたのですが、もうあきらめたほうがいいのかもしれません。日本人はとにかく、税金を払う以外に公共の目的のために自腹を切ることはしない。「お上」異存が骨の髄までしみついているのです。建国の歴史において国家という概念よりコミュニティの方が先に存在したNGO最先進国アメリカなんかを、そもそも目指すのが間違っていたのかもしれません。

自分はどこでどうやって国際協力をやりたいのか、全体像を理解してよくよく考えないと。

国際貢献のウソ (ちくまプリマー新書)
伊勢崎 賢治

4480688471

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