『対話のレッスン』 (2010 025)

野村美明先生が「わかりやすく伝えるために」というエントリーで言及されていた平田オリザ先生の
『対話のレッスン』
を読みました。



以下、引用とメモ。


p. 8
 「対話」 (Dialogue)とは、他人と交わす新たな情報交換や交流のことである。「会話」 (Conversation)とは、すでに知り合った者同士の楽しいお喋りのことである。

何となく、「会話」は「対話」に含まれるのかと思っていたけど、違いました。

p 51
 私たちが創り出さなければならない二一世紀の対話のかたちは、曖昧で繊細なコミュニケーションを、省略したり記号化したり、あるいは機能的にするのではなく、そのままの豊かさをかねそなえながら、しかも他者(たとえば外国人)にも判りやすく示すものでなくてはならない。
 いったい、そんなことができるのだろうか。いや、できるかどうかではなく、やらなくてはならないのだ。その方法を、私たちは見つけださなければならないのだ。

そのままの豊かさをかねそなえながら、しかも他者にも判りやすく示すって、いったいどうやったらいいのだろう。

pp. 63-64
 だが、演劇を創っていく以上は、そういうわけにはいかない。いや、趣味で、楽しみで演劇を創るのならば、すべての人々を受け入れ、楽しくやっていくことも可能だろう。しかしプロとして、あるいは厳しい意味での芸術活動として演劇を行おうとするのなら、その創作のすべての過程で、様々な選別、選択が必要となる。私は、今回の人生では、そういった厳しい修羅の道を選ぶことに決めたのであって、この点についてはあきらめている。いくら、このことで他人に恨まれようが刺されようが、仕方のないことだと思っている。

厳しい意味での芸術活動として演劇を行うことに対して、こんな覚悟を持っておられたとは。

p. 83
 だが、電子メールは、「限りなく話し言葉に近い書き言葉」という新しい言語の領域である。

もう15年以上、電子メールを使っていますが、そんな風に捉えたことは一度もありませんでした。仕事のメールは、基本的には書き言葉で打ってるつもりでしたが、話し言葉の表現もたくさん使っています。親しい友人や家族とのメールは、ほぼ100%話し言葉です。

p. 89
ヨーロッパでは、演劇とは、その国の標準的な話し言葉の規範を示すものである。

そうなんだ!! 日本の話し言葉の規範は、NHKニュースのアナウンサーのしゃべり方ですよね?

pp. 99-100
 社会進出を果たした女性たちは、必然的に、「ネ」や「ヨ」を使わない、いうなれば新しい女性語を模索し始めた。
 女性の上司が、部下に命令を発するときに、「ネ」や「ヨ」を多発すると、なんだか命令をしているように聞こえずに、お願いしているように聞こえてしまう。あるいは母親が子供にお使いか何かを言いつけているように聞こえてしまう(なぜなら、古い日本語の歴史のなかで、女性が男性に命令するのは、母親から子供へといった状況でしか起こってこなかったのだから)。日本語は、まだまだ男女平等な言語ではない。
 だが、逆に「ネ」や「ヨ」を完全に排除してしまうと、コミュニケーションがうまくいかない。詠嘆、推量、確認、婉曲といった微妙なニュアンスが抜け落ちてしまうのだ。
 そこで出てきたのが、半疑問形である。「ネ」や「ヨ」の役割を、イントネーションで補おうというわけだ。