『パラダイス鎖国 忘れられた大国・日本』 (2009 002)

パラダイス鎖国」というインパクトのあるタイトルに惹かれて、読んでみました。
以下、気になった箇所を引用。

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Pp. 92-93
ここまでパラダイス鎖国の問題を挙げてきたが、「身を切って改革」というよりも、「このぐらいだったらやってもいいかな」ぐらいの小さい変化を積み重ね、徐々に新しい時代に適応する体力を作っていくのが、パラダイス鎖国時代を健康に生きる知恵である。

P. 132
日本は、アメリカに次ぐ経済規模の大国である。国を挙げて、決まりきった「有望産業」に傾斜的に資源をつぎ込む必要はない。その「規模」のメリットを、異質なものや対立するものまでも含め、多様なものが共存するための広い場所として利用するのである。

P. 136
ゆるやかな開国に参加するための敷居は、いまならきわめて低い。強烈な性格を持たない、ごく普通の人でも、「ぬるま湯沸かし」に参加するぐらいならできる。

P. 180
ただ、わかっていてとどまることを選ぶことと、知らないままその状態にとどまることは、意味合いが違う。「パラダイス鎖国」の一番危険な点は、外部への興味をみずからシャットアウトすることで、外の世界の情報と隔絶され、バランス感覚をなくすことだ。その結果、自信を失って「引きこもり」になったり、極端に国粋主義に走ったりすることがありうる。
一方方向ではなく、多くの方向へと伸びたパイプが、いろいろな形で外の世界とつながって、バランスをとっていることが、堂々たる大国としては必要なことであるはずだ。多くの人がいろいろなレベルのいろいろな活動で外の世界とつながっている、という姿である。それが「ゆるやかな開国」だ。

P. 181
軽やかに、前向きに、少しずつ、開国へと向かってゆこう。ウェブ時代だからこそ、多くの人にそれができる。「お国のため」でなく、自分のために、広い世界とパイプを持とう。日本が堂々たる先進国になった時代の新しい日本人像は、遠い世界に住む偉い人ではなく、たくさんの普通の人たちの中にある。

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内容紹介
●世界から忘れられる日本、世界に目を向けない日本人
2008年1月のダボス会議において「Japan: A Forgotten Power?(日本は忘れられた大国なのか)」というセッションが開かれ、国際的に日本の内向き志向が問題視されています。高度経済成長から貿易摩擦の時代を経て、日本はいつの間にか、世界から見て存在感のない国になってしまっています。
国内を見れば、生活便利さや物の豊富さでは日本は先進国でもトップクラスの豊かさを誇り、外国へのあこがれも昔ほど持たなくなりました。そういった日本の様子を著者は「パラダイス鎖国」と呼んでいます。明治以来の「西洋コンプレックス」が抜けてきたという意味で、それ自体は決して悪いことではないものの、「パラダイス鎖国」は日本にとって、諸手を挙げて歓迎すべき出来事なのでしょうか?
●「パラダイス鎖国」時代をどう生きるか
産業面においても「パラダイス鎖国」は現実のものとなっています。携帯電話、あるいはネットベンチャーなど、日本はブロードバンドインフラで先行しているにもかかわらず、情報家電やITのグローバル市場における新興勢力とみなされる企業はまだありません。高品質・高性能・先進的というジャパン・ブランドはいまだ健在であるものの、その販路は縮小しつつあり、「値段が高いだけ」の製品を送り出しているだけになりつつあります。
一方、そういった国際環境の中で、「失われた10年」の閉塞感から脱し切れていない日本。なにが「パラダイス鎖国」の元凶なのか。そこから日本人が脱出するすべはあるのか?
本田技研工業、NTTといった日本を代表する企業で海外事業に携わり、現在は独立して経営コンサルタントとしてアメリカで活躍する著者の画期的論考。



パラダイス鎖国 忘れられた大国・日本 (アスキー新書 54)
海部 美知
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