『蟹工船 一九二八・三・一五 (岩波文庫)』 (2008 083)

初めて小林多喜二の作品を読みました。
『一九二八・三・一五』の方が、『蟹工船』より先に書かれた作品です。
オホーツク海で操業する蟹工船上の過酷な労働。読んでいるだけで寒くて痛くて、一度途中で読むのをやめてしまいました。近くで操業している秩父丸から、S・O・Sが届くも、作業をやめて助けに行くと漁獲量が減る、保険がかかっているから沈んだ方がいい、という信じられない理由で、助けに行こうとする船長を「よけいな寄道」をするなと止めてしまう監督。そのまま、四百二十五人は海の藻屑と消えてしまいます。労働者の命はあまりにも軽く、ひたすら搾取される有様が描かれています。昔「この会社は従業員から搾取して伸びてるっ」と思ったことがありましたが、「搾取」とはそんな生ぬるいものじゃなかったのね・・・。
『一九二八・三・一五』はそのタイトルのとおり、1928年3月15日未明に、当時非合法の状態で活動していた日本共産党を先頭とする革命運動に対する政府の大弾圧の際の逮捕と拷問を主題にしています。日本の特高警察の残忍な拷問に吐き気がしました。『はだしのゲン』を思い出しました。

内容(「BOOK」データベースより)
おい地獄さえぐんだで―函館を出港する漁夫の方言に始まる「蟹工船」。小樽署壁に“日本共産党万歳!”と落書きで終わる「三・一五」。小林多喜二のこれら二作品は、地方性と党派性にもかかわらず思想評価をこえ、プロレタリア文学の古典となった。搾取と労働、組織と個人…歴史は未だ答えず。

蟹工船 一九二八・三・一五 (岩波文庫)
小林 多喜二
4003108817


飯島 愛さん、自殺してしまったんですね。ギルガメのときは「何この人!?」と思ったけど、その後の彼女には何となく好意を持っていたので驚きました。・・・寂しかったのかな、という気がします。ご冥福をお祈りします。

・・・寂しさとは何でしょう。大学生のときは、それはそれは強烈に寂しかった覚えがあります。今思えばあの寂しさを紛らわすために、ジタバタしていたのかもしれません。あの押しつぶされそうな苦しい寂しさ、出口がない、夜明けが来ないのではないかという恐怖は、今はもう感じません。Self-referralになったから、そしてdetachment(手放すこと)を覚えたからかな。心の平安は与えられるものではなく、自分の心の中にあるもの。手放して戻ってこないものは、そもそも自分のものではなかったのだということが分かったから、失っても寂しくないのかな。

クリスマス・イヴですね。クリスマスは、富める人はそれなりに、貧しい人も貧しいなりに、持っているものを人と分かち合う日だと以前教えてもらいました。クリスマスには、いつも若草物語を思い出します。

Hope you’re having a very very Merry Christmas!
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